半世紀以上通い続けた海である。思い出に浸りながら書いてみた。熱海に実家のある女房と来たのが初めてで、そのころは、網代の漁港は活気に満ちていた。大手の水産会社が漁協のすぐ前で養殖をしており、当時はハマチの養殖が中心であった。タイやアジやカンパチのほかイサキの網生け簀もところ狭しと並んでいた。冷凍のイワシやサバを粉砕機にかけてエサにしており、スコップですくって投げ入れると水面が波しぶきで盛り上がった光景は、今でも目に焼き付いている。
生け簀の間にボートをつけると、水面下1、2メートルのところをワラサの群れが泳ぐのを頻繁に見ることができた。遊漁船も網生け簀の水路に陣取り、ヒラメを釣らせていた。生け簀の網にはボラの成魚やシマアジの幼魚が集まるだけではなく、イワシやきびなご、イサキやメジナの稚魚が海面を覆い隠すくらいであった。
釣りをし始めたころは、アミコマセやオキアミもなく、魚の切り身と虫や貝が主な餌であった。地元の釣り人は漁協の前から投げ釣りをしており、座布団カレイやアイナメ、イイダコやキスのほかウミタナゴやコトヒキなどを釣っていた。メジナはいくらでも釣れたが、「くしろ」と言ってあまり喜んで釣ってはいなかった。
ボート釣りは内田丸の先代の頃からお世話になっている。時折乗せてもらう仕立船では、小柄な船頭さんの腕もよく、山立てには定評があった。とにかく釣れた。イナダや鯛やカンパチ、イトヨリや甘鯛も、今では考えられないくらい浅場でたくさん釣れた。
これから始めるブログには、現在の網代でのボート釣りや船釣りの様子を知らせていくことにしたい。手こぎホートで釣りを楽しんでいるが、魚種はまだまだ豊富である。 現在の内田丸の船長や若頭は情報通で、色々とアドバイスしてくれるのがよい。